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王羲之 集王聖教序 北宋拓本

原碑 唐・咸享三年(672) 紙本墨拓 各頁27.5×15.0㎝


王羲之(303~361)は貴族文化の栄えた東晋の時代、空前の書の名手として知られた人物で、その流暢かつ骨格のしっかりした書は楷・行・草書の典型となりました。約300年後、唐の二代皇帝・太宗は王羲之の書を愛して全国から収集し、宮廷で精巧な模本を作らせ、王羲之の文字はデータベースのように蓄積されていきました。


「聖教序」は玄奘三蔵が持ち帰った仏典の漢訳に太宗が与えた序文で、当時の能書・褚遂良が清書した「雁塔聖教序」も有名ですが、もう一つ、僧懐仁が王羲之の文字を約1900字集めて作ったのがこの「集王聖教序」です。実際、現存する王羲之書跡の模本類と一致する文字が確認でき、太宗が最も愛した「蘭亭序」からの引用も多く見られます。部首を組み合わせて作った字や、唐代皇帝の諱を欠画するなどの改変も見られますが、総じて当時の規範化された王羲之書風をよく示します。西安碑林に高さ350×幅113センチの原碑があり、本作はその拓本を切り貼りして冊子に改めたものです。

 

碑には少しずつ摩滅や損傷が生じるため、文字のよく残る古拓が尊ばれます。この拓本には明代に生じた断裂がないためそれ以前のものであり、清の蔡芝定は北宋拓と鑑定しました。旧蔵者の呉栄光も南宋拓本と比較し、周囲の余白に本作の優点を逐一注記しています。他にも翁方綱らが跋文で意見を述べており、清朝帖学の深みを知ることができます。

 

二代・黒川幸七は明治45年(1912)に本作を入手し、翌年、内藤湖南の跋を得て博文堂から複製を出版して同好の士に配りました。日本でも奈良時代から尊ばれた王羲之書跡は、近代に至ってもなお突出した存在で、古典としての命脈の長さを窺い知れます。

(飛田)


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