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刀 無銘 長谷部

刃長78.4㎝ 重894g

南北朝時代(14世紀) 重要文化財


はばが広く反りの浅い刀身は鋒(きっさき)を大きく作ります。

持ち手の部分は本来の茎(なかご)が残らないほど短く磨上げていることから、もとはかなり長寸の豪壮な太刀であったことがうかがえます。


“互の目”や“丁子”が交じる大乱れの刃文で、刃ではない地の部分にも斑状に白く飛焼が入ります。

華やかな美しさの一方で、いかにも斬れそうな怖さを感じる刀です。


この刀に付属する慶安元年(1648)11月3日付け「代金子弐拾枚」の「折紙」(鑑定書)では本阿弥家により長谷部派の作と極められ、茎には「國重」の金粉銘が入ります。


長谷部派の祖である国重は大和から鎌倉に下って正宗に入門し、のち上京して五条坊門猪熊で作刀したとされます。

同じく大磨上無銘ですが、福岡藩主黒田家伝来の名物「へし切長谷部」(福岡市博物館 国宝)が有名です。


ともに伝わる大正11年(1922)本阿弥琳雅「留帳写」によれば、折紙発行時の所有者は「紀伊大納言様」、つまり紀伊徳川家初代頼宣であったとわかります。

しかし昭和はじめに3度にわたっておこなわれた同家売立の目録にこの刀は見当たりません。


水戸藩の儒者・辻端亭(1624~68)が『端亭漫録』に記した江戸小石川上屋敷の道具リストのなかに、「長谷部 磨上げ無銘 長二尺五寸七分半 代金弐十枚折紙 紀州宰相様より」と記されており、折紙発行ののち、紀伊家から水戸家に贈られたのでしょう。


なお、家康の形見分けを記録した『駿府御分物帳』には、肥前のキリシタン大名・有馬晴信(1567~1612)から没収した刀剣のうち、「長谷部」を頼宣が継承したとありますが、これが本刀にあたるのかは残念ながら不明です。

(川見)

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