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あわあさぎはぶたえじきょうもんはんずりぐそくした
淡浅葱羽二重地経文版刷具足下

身丈87.0㎝、裄63.0㎝
江戸・寛文三年(1663)


「具足下」は鎧(具足)の重さや硬さを緩和するクッションの役割を果たす下着です。
薄青色の地に黒のストライプ模様があるかのような本品ですが、よく見ると『般若心経』が小さな字で版刷りされていることがわかります。
300字足らずの経文を縦15cm、横2cmあまりの版木に5行で刻み、印を捺しあてるように全面を埋めつくしているのです。

さらに、胸には7頭の猪に騎座する三面六臂の摩利支天、背中の中央と左右の袖には直立する雨宝童子、鎧をまとった毘沙門天、杖に寄りかかる赤童子を摺った円形の裂を縫いつけます。

このうち陽炎を神格化したとされる摩利支天は、武士の守護神として信仰を受けました。
また雨宝童子・毘沙門天・赤童子はそれぞれ伊勢神宮・誉田八幡宮・春日大社の本地仏(神々の本体としての仏)で、この三神をセットとした「三社托宣」は、室町時代に唯一神道を唱えた吉田神道の発展にともない、江戸時代にかけて広く流布しました。
天照大神を「正直」、八幡大菩薩を「清浄」、春日大明神を「慈悲」の象徴とし、その恩恵を受けるためには、自ら正直に生き、身辺を清浄に保ち、慈悲深くなければならないとします。
神仏の加護を得たいという願望だけでなく、これらの徳目を自ら実践する強い決意がこの具足下にはあらわれています。

なお、上前の紐には「奉納一切経七千巻之内」「寛文三暦卯正月吉日」の版銘がありますが、各所に収蔵される類品には保存状態の良いものも多く、寛文三年に制作した版木やそれを複製したものを用いて、長期間にわたって作り続けていた可能性を考える必要があるでしょう。
(川見/監修:東北大学教授 杉本欣久)

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