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犬養毅(木堂)筆 菜根譚一節

137.0×57.7
大正時代 絖本墨書
 

広々と余白を挟み、右肩上がりの行書を配置します。柔毛の長鋒筆を巧みに操って滑らかな絖本に食い込ませ、渇筆部にも筆力が利いています。
 
犬養毅(1855~1932)といえば、大正の憲政擁護運動の先頭に立ち、昭和初期に総理大臣となったのち、五・一五事件で暗殺された政治家として有名でしょう。しかし、幼少から漢学に親しみ、その精神を政治にも実践した彼は、「木堂」の号で知られる当時屈指の書家の顔も持ち合わせていました。
 
末行に「黒川君雅鑑」とあるように、本作は当研究所コレクションの主要部分を築いた二代・黒川幸七へ贈られたものです。当時中国では多くの清朝遺臣が没落しており、彼らと交友のあった犬養はその所蔵品を日本のコレクターへ向けて斡旋していました。幸七もその受け手の一人であり、翰墨の交わりが知られます。
 
彼は自分の書について「都合の好いのを真似ても真似なくても出鱈目、古人三分に自分七分位でやる」と語っており、特定の古典に私淑するよりも個性を打ち出そうとしていました。しかし、抑揚をつけた長横画や鈎爪状の跳ねは北宋の黄庭堅や米芾を学んでおり、伝統的な書の技法も継承しています。
 
犬養の書論には、儒学の学風と書道史の展開を結びつける見解、自身が「素人書家」であることを強調するアマチュアリズム、良し悪しもわからず骨董を買い込む「成金」への批判など、その根底に文人的価値観があることが窺えます。治国に携わりつつ余技として書に見識を持つ態度は、中国的な士大夫の理想像を実践したものとも言えます。
 
「心に波風さえ立てなければ、いつも至るところ青い山々や緑の水面に囲まれた心境になれる」(明・洪自誠『菜根譚』より)という本作の文言は、激動の時代にも趣味人の側面を大切にした彼の生き様を象徴するかのようです。
 
釈文
心地上無風濤、随在皆青山緑水。性天中有化育、触処見魚躍鳶飛。
黒川君雅鑑。木堂散人敬書。
(飛田)
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