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短刀 銘 来国次(名物 鳥飼来国次)

刃長23.9㎝ 重161g
鎌倉時代(14世紀)


鎌倉後期の京で活動した来派の刀工・国次の手になり、稲葉家伝来として『享保名物帳』に掲載される名物です。
号は室町末期、摂津国鳥飼の土豪で書家として知られる鳥養宗慶が所有したことに由来し、以後、名だたる武将の手をへて伝わりました。
 
『本阿弥行状記』には千利休が買い求めて秘蔵していた古鞘が、実は本阿弥光悦の父光二があつらえた「鳥飼来国次」のものであったという話が記されるなど、その来歴はさまざまなエピソードに彩られています。
 
関ケ原の戦いでは宇喜多秀家が所持し、家臣の進藤正次が主君を殺して本刀を奪ったと徳川方に偽りの届け出をし、秀家を西国に落ちのびさせました。
 
二代将軍秀忠から拝領した加賀藩主前田利常は寛永十年(1633)、死の床にあった友人稲葉正勝に慰みとして本刀を贈りました。
「もう長くない病人に贈っても仕方ない」といさめる側近に対し、「死んでしまうから贈るのだ」と笑ったといいます。
 
孫正往の代に同じく稲葉家に伝わった名物「籠手切郷」とともに細川家へ贈られましたが、その後二振りそろって稲葉家に戻ったらしく、以後、明治維新まで稲葉家に伝来します。
 
250年間ともに時代を経た二振りは、大正七年(1918)の売立でそれぞれ競り落とされて離ればなれになりましたが、平成二十八年(2016)、「籠手切郷」を所蔵する黒川古文化研究所に「鳥飼来国次」が寄贈され、一世紀を経て再び巡りあうことになりました。
 
(川見)


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