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のぶいえ しゅじに「いかなるかこれほんらいのめんぼく」つば
信家 種字に「如何是本来面目」

銘 信家

9.1×8.9㎝ 厚さ0.5㎝

安土桃山時代(16~17世紀)


鉄を円形に打ち延ばした鎚目をそのままのこした無骨な鐔で、周縁部を打ち返してやや厚めに仕上げます。
なかご孔の左右にあけた小柄と笄を差し入れるための櫃孔は整った海鼠形で、後世にこれらが付属しない拵えに仕立てたためか、ともに赤銅で塞いでいます。
 
なかご孔の上下には種字「ウーン」(降三世明王)と「カーン」(不動明王)、左右には唐草文を刻みます。
種字は太い鏨を周囲が盛り上がるほど力強く打ち込んで彫りますが、唐草文は細く浅い彫りによって伸びやかな表現とします。
散らし書きのように配した裏面の「如何是本来面目」七字も、あたかも筆で書いたような肥痩をつけています。
 
降三世と不動の両明王は、尊勝曼荼羅などに一対としてあらわされる例があり、諸悪を調伏することから武士の信仰を集めました。
また「如何是本来面目(如何なるか是本来の面目)」は、北宋・道原の編纂した『景徳伝灯録』巻十五「洞山良价章」などにみえる禅語です。
禅において真実の自己や自然のままの心性を意味する「本来の面目」。
修行によりその本質を見極めることが悟りにつながります。
死と隣り合わせの武士にとっては、神仏の加護を願うとともに自己の精神修養も不可欠であり、身につける刀剣の鐔にもこのようなことばを刻んだのでしょう。
 
作者の信家は『増補 懐宝剣尺』(1805年)に「信家 城州明珍」とみえ、『金工鐔寄』(1839年)においては甲冑師明珍家十七代の信家(1486?~1564?)に比定されています。
ただしこれを裏付ける文献はなく、現在では明珍信家とは別の専門鐔工とみなされています。
作品に銘を刻むはやい時期の鐔師であり、その質実剛健な作風は江戸時代に至っても武人に愛されました。

(川見)

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