本文へ移動
あらきとうめい   あわほずだいしょうめぬき
荒木東明 粟穂図大小目貫

短冊銘 一斎東明荒秀信(花押)

3.0×1.4×0.7㎝ 3.9×1.3×0.6㎝ 

3.5×1.3×0.5㎝ 3.0×1.4×0.7㎝ 

江戸時代末期 


籠(かご)や箕(み)、筵(むしろ)からあふれ出るように盛った粟穂をあらわした金製の目貫です。

五穀のひとつとして古くから重要な作物であった粟は、多くの実をつけて穂を垂れるさまから、豊穣や子孫繁栄のイメージがあります。

中国では宋代以降、鶉とともに描かれることが多く、室町から江戸時代にかけての日本でも親しまれた画題です。

 

粟の実は一粒ずつが円錐形になっており、中心に一つ、その周囲に六つを配してひとつの塊を形成しています。

これを穂の形に整然と並べ、房となって垂れるさまを表現しています。

円錐形の粒を作るためには魚々子鏨のような先をへこませた特殊な工具を使用したとみられますが、これほどの急な角度の突出とするのはかなり難しいらしく、あわせて裏側から針状の工具で打ち出したとする説も唱えられています。

 

荒木東明(1817~70)ははじめ京都の後藤勘兵衛家九代・東乗に学んで「東明」を名乗り、のち後藤一乗に師事して「一斎」の号を与えられました。

京都四条派の画家で岡本豊彦門人の林蘭雅(1821~69)と親しく、得意とした粟穂の意匠は長年ともに研究したすえに考案したものといわれます。

実際に東明は粟穂の作品を数多く遺していますが、実の形状や配置の異なるものも少なくありません。

独自の技法を確立する以前の制作とみるのか、他工による贋作の類と判断するのか、重要なポイントであると思われます。

(川見)

TOPへ戻る