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ほうらいもんきょう

蓬莱文鏡


面径19.7㎝

鎌倉~室町時代(14世紀)


海上に松が茂る岩山がそそり立ち、波が打ちよせる根もとには亀が頭をもたげます。
松の枝には二羽の鶴が羽を休め、上空には雲がたなびいています。
 
鎌倉時代から江戸時代にかけて多くみられる和鏡のデザインで、蓬莱山をあらわしているとされます。
 
蓬莱山は中国の東海にあるとされる三つの仙山のひとつで、はじめは海上をただよっていましたが、天帝の命令により巨鼇(大きな亀)が背負うことになりました。
生息する鳥獣はみな純白で珠玉の樹が生い茂り、その果実を食べると不老長生が得られるともいいます。
 
中国の伝説に松と鶴は登場しませんが、わが国では「蓬莱山には千歳ふる、万歳千秋かさなれり、松の枝には鶴巣くひ、巌が傍には亀遊ぶ」(『朗詠九十首抄』)と今様に謡われるように、岩山に長寿を象徴する鶴・亀・松をあしらった図像になりました。
 
実際の鶴はコウノトリと異なり木に止まることはありませんが、中国の文献に「千歳の鶴は時に随て鳴き、能く木に登る。その未だ千載ならざる者は、終に樹上に集わざるなり」(『玉策記』)とあって、樹上に止まる鶴は千年を生きた仙界の鳥とみなされていたことがわかります。
 
さらにこの鏡の見逃してはならない表現として、扇形の松葉の先にあしらわれた三つの珠点があります。
これは新芽をあらわすと考えられ、春の芽吹きを生命力のあらわれとみて、松の吉祥性をより高めたのでしょう。
旧東寺蔵「山水屏風」(京都国立博物館)に白緑で松の新芽を描いた例が指摘されており、かつてのやまと絵、さらにはそのもとになった唐代絵画でおこなわれた表現であった可能性もあります。
和鏡の文様は現存数の少ない中世以前の絵画を知る手がかりともなります。
 (川見)
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