慈雲「十善」「福寿」ならびに脇書
慈雲「十善」「福寿」ならびに脇書
各85.0×34.0cm
江戸中期(18~19世紀
江戸時代の高僧・慈雲(1718~1804)が「十善」「福寿」と大書し、脇に小さくその真意を書き添えた対幅です。右幅は画数の少ない「十」を極端に大きくし、反対に画数の多い「善」を黒々と重心を下げた形にしています。左幅は「福」を扁平で円みのある形にまとめ、「寿」の縦画を伸びやかに引き下ろします。左右を並べると粗密・軽重が互い違いになり、均衡美を生み出します。筆の動きは渇筆を伴って速度感があり、右幅は直線、左幅は円弧を主体とします。さらに、長い線の左の空白を漢字かな交じりの脇書で補い、構成を引き締めています。殺生を戒める僧の書である点から、大字は馬の尾、小字は竹の繊維の筆によると推測されます。
このように1~3字程度の大字と、説明書きを組み合わせる形式は「置字」と呼ばれ、江戸時代に書作品の一形式として定着しました。その起源は鎌倉時代に南宋禅林から伝わった「字号」(弟子に道号を与える際、その号を大書して小字の解説を添えたもの)に遡ります。この形式は中国では書道史の主流とはならず、日本で中世以降、独自に洗練されていきました。
高僧の墨跡は通常、技術の巧みさよりもその徳を慕って珍重されます。しかし、本作においては上述のような造形的分析にも耐える高度な書技が認められます。
本作にいう「十善」とは慈雲が重視した戒律「十善戒」を指し、ここでは「福寿」と対にすることで両者の因果を表します。皇室との縁も深かった慈雲は、地位ある者が戒律を実践すれば世の中が改善すると考えていました。この脇書でも「十善戒」によって国家の存続が守られると説いています。
本作には慈雲ゆかりの河内長栄寺の住職・上月明厳が昭和十年(1935)に書いた箱書が付属しています。当研究所には二代・黒川幸七が蒐集した慈雲遺墨が80件以上も伝わりますが、本作はその白眉と言えるでしょう。
このように1~3字程度の大字と、説明書きを組み合わせる形式は「置字」と呼ばれ、江戸時代に書作品の一形式として定着しました。その起源は鎌倉時代に南宋禅林から伝わった「字号」(弟子に道号を与える際、その号を大書して小字の解説を添えたもの)に遡ります。この形式は中国では書道史の主流とはならず、日本で中世以降、独自に洗練されていきました。
高僧の墨跡は通常、技術の巧みさよりもその徳を慕って珍重されます。しかし、本作においては上述のような造形的分析にも耐える高度な書技が認められます。
本作にいう「十善」とは慈雲が重視した戒律「十善戒」を指し、ここでは「福寿」と対にすることで両者の因果を表します。皇室との縁も深かった慈雲は、地位ある者が戒律を実践すれば世の中が改善すると考えていました。この脇書でも「十善戒」によって国家の存続が守られると説いています。
本作には慈雲ゆかりの河内長栄寺の住職・上月明厳が昭和十年(1935)に書いた箱書が付属しています。当研究所には二代・黒川幸七が蒐集した慈雲遺墨が80件以上も伝わりますが、本作はその白眉と言えるでしょう。
(飛田)
釈文 十善:これ菩薩の道場なり。身を百年に全し、家を千歳にまもり、国を万々歳に伝ふべし。慈雲叟。 / 福寿:二六時中みづから欺ず、人をあざむかざれば、天神地祇のまもり疎ならず。葛城山人。


