東大寺大仏殿軒瓦
東大寺大仏殿軒瓦
軒丸瓦:径21.3cm 軒平瓦:幅41.0㎝
鎌倉時代(12世紀)
平家による南都焼討ちにより灰燼に帰した東大寺を再建した際、大仏殿などに用いられた軒瓦です。再建は重源上人を大勧進として進められ、建久6年(1195)に落慶供養が行われました。
これらの瓦は、再建の資材や資金をまかなう造営料国とされた備前国の万富瓦窯(岡山市東区瀬戸町)で作られたことが、発掘調査によりわかっています。
軒丸瓦は中心に盧舎那仏の種子「ア」、そのまわりに「東大寺大佛殿」の文字を1字ずつ小円相のなかに配しています。その外側には八葉の蓮弁を飾り、さらに外区には34個の珠文を並べます。
軒平瓦も中央に種子「ア」、左右に「東大寺」「大佛殿」の文字を小円相のなかに1字ずつ配し、外区に65個の珠文を並べます。
寺院名などの文字をあしらった軒瓦は中世に多くみられますが、平安時代まではそれほど一般的ではありませんでした。
しかし、重源が造営にかかわった寺院では、東大寺大仏殿のほかにも「東大寺大講堂」、「吉備津宮常行堂」(岡山・吉備津彦神社)、「南無阿弥陀仏」(兵庫小野・浄土寺)などが知られており、文字瓦流行の先駆けであったとみられます。
本品は、いずれも収集の過程で丸瓦部・平瓦部が切り取られています。そのため軒丸瓦では、瓦当の裏面に溝を設けて丸瓦を接合している様子が確認できます。
また、軒平瓦の上面(凹面)には制作時の布目痕が明瞭に残り、分厚い顎部は山なりにカーブを描いて立ち上がる形をしています。
大仏殿の威容にふさわしい、堂々たる風格を備えた重厚な瓦といえるでしょう。
なお、軒平瓦は松平定信(楽翁)旧蔵古瓦のひとつで、側面に残る漆喰のあとに土塀に埋め込まれていた痕跡をうかがうことができます。
これらの瓦は、再建の資材や資金をまかなう造営料国とされた備前国の万富瓦窯(岡山市東区瀬戸町)で作られたことが、発掘調査によりわかっています。
軒丸瓦は中心に盧舎那仏の種子「ア」、そのまわりに「東大寺大佛殿」の文字を1字ずつ小円相のなかに配しています。その外側には八葉の蓮弁を飾り、さらに外区には34個の珠文を並べます。
軒平瓦も中央に種子「ア」、左右に「東大寺」「大佛殿」の文字を小円相のなかに1字ずつ配し、外区に65個の珠文を並べます。
寺院名などの文字をあしらった軒瓦は中世に多くみられますが、平安時代まではそれほど一般的ではありませんでした。
しかし、重源が造営にかかわった寺院では、東大寺大仏殿のほかにも「東大寺大講堂」、「吉備津宮常行堂」(岡山・吉備津彦神社)、「南無阿弥陀仏」(兵庫小野・浄土寺)などが知られており、文字瓦流行の先駆けであったとみられます。
本品は、いずれも収集の過程で丸瓦部・平瓦部が切り取られています。そのため軒丸瓦では、瓦当の裏面に溝を設けて丸瓦を接合している様子が確認できます。
また、軒平瓦の上面(凹面)には制作時の布目痕が明瞭に残り、分厚い顎部は山なりにカーブを描いて立ち上がる形をしています。
大仏殿の威容にふさわしい、堂々たる風格を備えた重厚な瓦といえるでしょう。
なお、軒平瓦は松平定信(楽翁)旧蔵古瓦のひとつで、側面に残る漆喰のあとに土塀に埋め込まれていた痕跡をうかがうことができます。
(川見)


