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五銖銭笵

高5.0cm、幅9.1cm
南朝梁(6世紀前半)


五銖銭を鋳造するための銭笵(鋳型)です。
銭面は左右に「五」「銖」の2字を配し、背面には方孔の四隅から外縁に伸びる線を確認できます。五銖銭の鋳造は前漢から唐まで約700年間に及びますが、本品に見られる浅い銭紋や大きな方孔は、五銖銭の中でも新しい特徴と考えられています。

鎔かした金属を流し込むための孔が中央に空いており、そこから厚さ約5mmの板状の銭笵が層状に重なる構造を観察できます。表裏両面に、銭面と背面の原型を4つずつ押しつけた鋳型を何段も重ね、一度に多くの銭貨を作る「畳鋳笵(じょうちゅうはん)」であるとわかります。

また、鋳型の側面には小さな鉄滓(てっさい、鋳造時にできる鉄くず)が付着しています。

史書に「普通四年(523)十二月(中略)、始めて鉄銭を鋳る」(『南史』梁武帝本紀)や、「普通中に至り、乃ち議して銅銭を悉く罷め、更に鉄銭を鋳る」(『隋書』食貨志)とあるように、南朝梁は鉄銭を鋳造しました。実際に梁以降の遺跡からは鉄製の五銖銭も出土しています。

本品は以上のような特徴から、梁鉄五銖の銭笵と判断できます。類例は江蘇省の南京市や鎮江市の鋳銭遺跡から出土しています。

貨幣経済が浸透していた南朝では、銅銭の不足に悩まされていました。梁の武帝は通貨を鉄銭に切り替えて乗り切ろうとしましたが、銅よりも手に入りやすい鉄を用いたことで私鋳が横行し、結果的に王朝の寿命を短くしてしまいました。

(馬渕)

※本品の画象は研究員撮影
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