○「中国の花鳥画−彩りに込めた思い−」展 後記
(平成24年1月)



 年が改まって、はや十日。当研究室もそろそろ始動である。4月まで展示は休みだが、私たち研究員にとっては、年1回の『古文化研究』の締切を前に、机上で一番頭を悩ます時期である。筆者は昨秋担当した「中国の花鳥画」展に関連する論考を予定しているので、遅まきながらそれへの後記を綴り、新たな年の始めにしたいと思う。

 今回、花鳥画をテーマとしたのは、研究の過程で中国の古典に触れる間に、中国人と花鳥の関わりに興味をもったのがきっかけだった。最近、動物をテーマにした展覧会が、しばしば開催されているが、それらはどちらかといえば過去の主題の枠からはなれて、現代の好奇心や視点から作品をながめる傾向が強かったように思う。私の関心は、むしろ過去の人々が、どのように植物や鳥類に接し、何を感じとり、何を大切に思ったかにあるので、「花鳥」という伝統的な主題に則って、古代から近世までをたどり、作品に込められたイメージ、信仰、思想などを紹介するよう心がけた。
 ほぼ全体が見渡せる小規模な展示室に、三千年におよぶ中国花鳥画の流れを収め切れるのか、展示前には不安もあったが、近隣の博物館、美術館、収蔵家の方にも貴重な作品を出品いただき、コンパクトではあるが目的に沿った展示ができたと自負している。展示の概要とそこから得られた知見については、
東京大学東洋文化研究所のサイト「アジア研究情報
Gateway
http://ricas.ioc.u-tokyo.ac.jp/asj/index.html#redirected

に執筆の機会をいただいたのでここでは省略するが、来館者の方からも「日頃、中国絵画の流れを知りたいと思っても、なかなか機会がないので、こういう企画はありがたい」という感想を頂戴した。実際、中国絵画の通史やそれを踏まえた鑑賞のポイントについての情報は、展覧会、出版物ともに、日本や西洋の美術に比べればわずかであり、研究面だけでなく普及的な情報も積極的に発信していくべきだと気付かされた。

 普及という意味では、会期中の1112日に、開催した「公開研究会 実物とデジタル画像による文化財考察―中国花鳥画の彩りに迫る―」も、新たな試みであった。関西学院大学博物館開設準備室との共催で、高精細画像により作品を観察して議論するという趣旨で、今回が3回目だが、始めて外部のパネラーとして西尾歩氏(立命館大学)、塚本麿充氏(東京国立博物館)を迎え、明代宮廷絵画の優作・紀鎮「春苑遊狗図」(当館蔵)について、約2時間にわたって表現技法や補修の状態、様式、制作年代等を討論した(当館からは、杉本欣久研究員が司会、私がパネラーとして参加)。
 聴講の方は、事前に綿密な打ち合わせをした印象を持たれたようだが、導入部分以外、予定や筋書きはなく、司会もパネラーも全てアドリブだった。日頃からお互いをよく知っているメンバーだからこそ可能だったわけだが、普段とは違う部分の頭の使い方が要求され、終わったあとは遠泳から帰ったような感覚だった。話し忘れた情報や、うまく説明できなかった点も多く、適切な情報を分かりやすく話すことの難しさを痛感した。ただ、それぞれの研究者がどのように作品を観察しているのかを、その場で議論しあう方式は、通常の講演会にはないライブ感があり、普及面はもちろん、研究者の研鑽の場としても続けていければと考えている。

 
また、鑑賞講座については、杉本研究員が
115日に「南蘋派、長崎派とよばれる花鳥画―その定義を考える―」と題して、南蘋派の定義について新たな見解を発表した。江戸絵画と明清花鳥画の関係を、実作品と画譜の両面から検討した大変興味深い内容で、論文化を同僚としても期待している。

 私のほうは、1029日に「中国美術における花鳥−その造形と意味−」という題目で、展示では紹介し切れなかった情報を交えて話をした。その中で取り上げた次の文章は、中国人らしい花鳥の見方の一例と思われるので、これを紹介して結びとしたい。

 宋代は、文人士大夫たちが文化を担った時代であり、彼らの興味は詩文や琴棋書画のみならず、文房具や茶といった身辺の諸事にも及び、花卉の栽培についての著作も現れた。その一つ南宋後期の『王氏蘭譜』において、著者の王貴学は、蘭のすばらしさを序文で次のように讃えている。

万物はすべて天地に形を委ねている。万物の形で秀でているのは天地の和を委ねられたものである。和気があつまったのが聖であり、賢であり(中略)、鳳凰であり(中略)、草に蘭があるのもそういうことである。世間では三友(松・竹・梅)と称している。それらは花卉の中ではぬきんでているものである。しかし竹には節があるが、花は劣る。梅には花があるが、葉は劣る。松には葉があるが、香りが劣る。ただ蘭だけが花・葉・香りを併せもっている。蘭は君子である(後略)。

(佐藤武敏編訳『中国の花譜』平凡社、1997年より)

 万物は全て気から生じ、天地の良い気を受けたものが優れた徳をもつという気の思想にたち、蘭もそうであるという。そして、寒さに強く節操の象徴や吉祥とされる松竹梅と比較し、花、葉、香りの三つを兼ね備えているのはそれら以上であるとして、君子に比している。その蘭を栽培し鑑賞することで、人間の徳もまた養われるのである。

科学の急速な進歩によって、生物の系統樹もDNAが決め手とされる時代である。しかし、科学的な理解とは別の見方があることを、この文章は気付かせてくれる。それは、人間の視覚や嗅覚といった本来備わっている感性を十分働かせ、そこから感じ取った美点を、自らの精神の向上へと結び付けようとする態度である。科学文明の弊害が見え始め、自然を支配するのではなく、どう共生していくかが問われている昨今である。このような時代だからこそ、自然と向き合い学んでいく中国の伝統的なものの見方は、見直されていいだろう。

 
昨年は当館も参加した「関西中国書画コレクション展」の関係で、室内での仕事が多かったが、それももうすぐ大詰めである。今年はできるだけ屋外にも出かけて実際の花や鳥にも親しみたいと思っている。

 もうじき、梅の季節である。


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