|
○「中国の花鳥画−彩りに込めた思い−」展 後記
今回、花鳥画をテーマとしたのは、研究の過程で中国の古典に触れる間に、中国人と花鳥の関わりに興味をもったのがきっかけだった。最近、動物をテーマにした展覧会が、しばしば開催されているが、それらはどちらかといえば過去の主題の枠からはなれて、現代の好奇心や視点から作品をながめる傾向が強かったように思う。私の関心は、むしろ過去の人々が、どのように植物や鳥類に接し、何を感じとり、何を大切に思ったかにあるので、「花鳥」という伝統的な主題に則って、古代から近世までをたどり、作品に込められたイメージ、信仰、思想などを紹介するよう心がけた。 普及という意味では、会期中の11月12日に、開催した「公開研究会
実物とデジタル画像による文化財考察―中国花鳥画の彩りに迫る―」も、新たな試みであった。関西学院大学博物館開設準備室との共催で、高精細画像により作品を観察して議論するという趣旨で、今回が3回目だが、始めて外部のパネラーとして西尾歩氏(立命館大学)、塚本麿充氏(東京国立博物館)を迎え、明代宮廷絵画の優作・紀鎮「春苑遊狗図」(当館蔵)について、約2時間にわたって表現技法や補修の状態、様式、制作年代等を討論した(当館からは、杉本欣久研究員が司会、私がパネラーとして参加)。 宋代は、文人士大夫たちが文化を担った時代であり、彼らの興味は詩文や琴棋書画のみならず、文房具や茶といった身辺の諸事にも及び、花卉の栽培についての著作も現れた。その一つ南宋後期の『王氏蘭譜』において、著者の王貴学は、蘭のすばらしさを序文で次のように讃えている。 万物はすべて天地に形を委ねている。万物の形で秀でているのは天地の和を委ねられたものである。和気があつまったのが聖であり、賢であり(中略)、鳳凰であり(中略)、草に蘭があるのもそういうことである。世間では三友(松・竹・梅)と称している。それらは花卉の中ではぬきんでているものである。しかし竹には節があるが、花は劣る。梅には花があるが、葉は劣る。松には葉があるが、香りが劣る。ただ蘭だけが花・葉・香りを併せもっている。蘭は君子である(後略)。 (佐藤武敏編訳『中国の花譜』平凡社、1997年より) 万物は全て気から生じ、天地の良い気を受けたものが優れた徳をもつという気の思想にたち、蘭もそうであるという。そして、寒さに強く節操の象徴や吉祥とされる松竹梅と比較し、花、葉、香りの三つを兼ね備えているのはそれら以上であるとして、君子に比している。その蘭を栽培し鑑賞することで、人間の徳もまた養われるのである。 科学の急速な進歩によって、生物の系統樹もDNAが決め手とされる時代である。しかし、科学的な理解とは別の見方があることを、この文章は気付かせてくれる。それは、人間の視覚や嗅覚といった本来備わっている感性を十分働かせ、そこから感じ取った美点を、自らの精神の向上へと結び付けようとする態度である。科学文明の弊害が見え始め、自然を支配するのではなく、どう共生していくかが問われている昨今である。このような時代だからこそ、自然と向き合い学んでいく中国の伝統的なものの見方は、見直されていいだろう。 |
||