本文へ移動
大宝積経巻第四十五(神護寺素紙一切経)

紙本墨書 27.6×1120.5
平安初期(9世紀)


『大宝積経』は49会の独立教典を集成したもので、その中の『菩薩蔵会』は唐の貞観十九年(645年)、玄奘三蔵が漢訳した菩薩行などを説く仏典です。

その一部を書した本品は、巻頭下部に「神護寺」朱文長方印が捺され、京都の神護寺に伝わった一切経(すべての仏教経典のセット)の一巻と考えられます。この一切経は天長年間(824~834)、淳和天皇の御願により神護寺に納められたものとされ、その全容は『神護寺五大堂一切経目録』(987年成立)に記録されています。

一般に「神護寺経」と言えば後白河法皇が寄進した平安末期の紺紙金字経が有名ですが、鎌倉時代の『神護寺略記』ではより古いこの素紙経を経蔵にある三組の一切経の筆頭とし、「根本御経」と呼んでいます。

神護寺は和気清麻呂にゆかりのある神願寺と高雄山寺が合併して成立した寺院で、そもそもこの一切経書写は清麻呂が八幡神の託宣を受けて発願したものの生前に果たせなかったものでした。これを受け、淳和天皇が大宰府に宇佐八幡の神宮寺である弥勒寺と神護寺に各一組の一切経を納めさせ、ようやく実現したようです。写経の監督は空海の孫弟子・恵運が担当しました。

同じく神護寺素紙一切経の一巻とみられる古経は奈良国立博物館・京都国立博物館・五島美術館・龍門文庫などのものが知られていますが、当研究所は本品を含め三巻を所蔵しています(他二巻は大方広仏華厳経離世間品之六と勝天王般若波羅蜜経法性品第五)。

本品はその中でも鋭く軽快な筆致で、線の突き出しと抑揚に富み、かなりの能書の手になります。続く「菩薩蔵会第十二之十二」の巻が京都国立博物館に収蔵されており、書風からみて同筆の可能性があります。平安初期は奈良時代の謹直な天平経と平安末期の美麗な装飾経に挟まれた低迷期とされることもありますが、本品の書風はその過渡期にあって、滑らかな運筆と堅固な字形を兼ね備えた鑑賞に堪えるものとなっています。
(飛田)


TOPへ戻る