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南朝銭

直径2.4~1.8cm 重さ3.1~0.7g

南朝宋~陳(5~6世紀)


宋・斉・梁・陳など相次いで王朝が交替した中国の南朝は、何度も貨幣を発行し、積極的な経済政策を進めたことで知られています。

宋の四銖(図1、430年)と孝建四銖(図2、454年)(括弧内は図番号、初鋳年)を比較すると、後者の外周には鋳バリが目立ち、円銭の輪郭がデコボコしています。銭径に対して方孔を大きく設けて、軽く作っています。宋末期にはさらに軽量化が進んだと考えられています。

斉は490年に五銖銭を発行したと史書にありますが、どのような特徴をもつものかよくわかっていません。

梁は「武帝乃ち銭を鋳る。肉好く郭を周らし、文に五銖という。重きことその文の如し。而れどもまた別に鋳る。その肉郭を除き、之を女銭という。二品並び行わる。」(『隋書』食貨志)とあるように、厚く外郭(縁どり)をもつ五銖銭とそれらを除いた女銭を発行しました。後者は公式女銭(図3、502-519年)と呼ばれ、更には銅ですらない鉄五銖(図4、523年)といった、それまでの形態や素材から乖離した劣悪な製品も鋳造していました。

このように、南朝では貨幣経済の浸透に銅銭の供給が追いつかず、貨幣の価値を変えずに質を下げることで発行量を増やしたため、粗雑な銭貨が増えました。銭貨の粗製濫造は「悪貨は良貨を駆逐する」事態を招き、短命な王朝交替を繰り返す要因の一つとなりました。

陳の天嘉五銖(図5、562年)、太貨六銖(図6、579年)は、細部まで鋳出されており、精良な見た目をしています。こうした品質の向上は、主に技術的な要因によるものと考えられます。背面の短い突線は砂型での鋳造時に生じるとされ、この方法は北魏に始まると指摘されています。本品にも同じ線を確認でき、同時期の南朝でも砂型鋳造がおこなわれていた可能性を示唆しています。
(馬渕)

※本品の画象は研究員撮影
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