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名塩産藩札文書と名塩の私札

江戸時代後期~明治時代(19世紀)
西宮市指定文化財

江戸時代、西宮市の名塩地区では製紙がさかんでした。「名塩紙」の特徴は、原則的に雁皮(がんぴ)のみを原料とすること、地元産の「泥」を漉きこむこと、一般的な「流し漉き」ではなく「溜め漉き」で漉くことの三つでした。名塩紙は強靭で長期保存に耐え、虫害に強く偽造が簡単でないことから、全国で藩札用紙として利用されていました。

名塩紙に関する一括史料として、藩札文書7通と私札(藩ではなく商人などが発行する紙幣)40枚が、西宮市指定文化財とされています。

「名塩産藩札文書」は、明治元年(1868)から同3年にかけて紙漉師馬場儀三郎が諸藩と交わした文書の控えで、藩札用紙発注をめぐる手続きがわかります。『馬場儀三郎宛て肥前国平戸藩藩札原紙注文書』には、平戸藩からの注文書に3枚の用紙見本が添えられており、その色は現在でも鮮やかで、高品質の紙を漉く名塩の技術の高さがうかがえます。

「名塩の私札」は、紙漉師たちが発行して名塩で通用していた私札です。

「泥」の原料になる地元の凝灰岩の購入に使用された「土札」のほか、原料の雁皮購入代の「雁皮札」、燃料代の「柴札」、男性日雇賃金の「日用札」などがありました。色目によって「東久保土札」・「前坂土札」など産地の名前の土札もありました。「女日用札」は女性の日雇賃金支払いに使用されました。なお天明3年(1783)の史料によると名塩では、田植えの日当が銀8分(金1両=銀600分)に対して、「土」70キロが銀5分、女性日雇賃金は銀3分でした。

これらの私札は墨書・押印のみなど、おおむね簡易なものでしたが、なかには「土札」のように特徴的な染色を施すなど、偽造防止の工夫を施したものもありました。

(伊藤)
馬場儀三郎宛肥前国平戸藩藩札原紙注文書(縦253mm×横295mm)と見本3枚明治元年(1868)
土札(132mm×42mm) 天保7年(1836)※研究員撮影
女日用札(147mm×40mm) 文久3年(1863)※研究員撮影
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